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「パリ左岸のピアノ工房」より「ファツィオーリ」

パリ左岸のピアノ工房 表紙

T.E. カーハート、村松潔 訳

(c) T.E. Carhart 2000年,

日本語バージョン2001年

新潮社

<この車はピアノを見ると停まります!>
というバンパー・ステッカーを作らせるわよ、
と妻はよくわたしを脅したものだった。
というのも、ピアノを見かけると、
わたしは思わず立ち止まらずにはいられなかったからである。
もっとも、パリでは、わたしはたいてい徒歩で、
車に乗っていることはめったになかったのだけれど。

ある晩、友入のアパートで食事をごちそうになってから
ぶらぶら歩いて帰ってくる途中、
わたしはまた獲物を見つけた。
それまで知らなかったピアノ販売店のメイン・ウィンドウに
目もくらむばかりのグランド・ピアノが飾られていたのである。
「一分だけだから」と懇願して通りを渡ると、
わたしはドラマティックな照明に照らしだされたその楽器を観察した。
ゆっくりと回転する台座にのせられていたのは、
シンプルな黒いケースのピアノで、鍵盤のふたはあけてあった。
ゆっくりこちら側にまわってきたふたに記されていたロゴはわたしが見たことのないものだった。
アール・デコ調を思わせる飾り気のない肉太の書体で<ファツィオーリ>と書かれていたのである。

イタリア風の名前だが、いったいこのピアノは何なのだろう?
次にアトリエに立ち寄ったとき、その不思議なメーカーの名前を聞いたことがあるかとリュックに訊くと、
彼はどうしてそんなばかなことを訊くんだと言いたげな顔をした。
「もちろんさ。ファツィオーリは世界最高のピアノのひとつだ。完璧にすばらしい楽器だよ」

わたしはそんな名前を聞いたことがなかったが、最近になって販売店のウィンドで見かけたのだと話した。
どうしてもっとよく知られていないのだろう?イタリア製なのだろうか?
「ファツィオーリはごく新しいメーカーなんだ」とリュックは言った。
「まだ二十年にもなっていないが、ある男がゼロから世界最高のピアノを作ろうと考えて創り出したものだ。
基本的には手作りで、生産台数は非常に限られている」

その晩、わたしはこれまでに集めたピアノの文献を取り出して、ファツィオーリという名前を探した。
わたしはまずラリー・ファインの『ピアノ・ブック』を調べてみた。
これは長年の経験をもつ ピアノ技術者が書いた、
ピアノの選び方と手入れの仕方についてのすぐれたガイドブックで、
各メーカーについて誇張のない評価をしているのだが、
「このピアノは途方もないパワーにくわえて、豊かな表現力と澄んだ音色を持っている」と高く評価していた。
デイヴィット・クロンビーは、そのすばらしい写真入の歴史書『ピアノ』で、
ファツィオーリを「世界のピアノ・メーカーのベスト・スリーのひとつに入る」と断言していた。
こういう解説を読むと、わたしはいっそう好 奇心を刺激された。
しかも、このメーカーはまだ創業二十年にもみたず、しかも生産台数が非常に限られているというのである。

イタリアとのつながりも、わたしが 興味をもった理由のひとつだった。
これまで最高のピアノはいつもドイツかフランスかアメリカ製だった。
十七世紀の末にバルトロメオ・クリストフォリがピアノを発明して以来、
イタリアからは第一級のピアノ・メーカーは出ていないのである。
クリスマス休暇にイタリアの妻の実家を訪ねたとき、
このファツィオーリについてもっと詳しいことを知るチャンスが巡ってきた。
リュックのアトリエの埃っぽい空気を何ヵ月も吸ったあと、
この世界に生まれたばかりのピアノを見るのはいい気分転換になりそうだった。

ヴェニスの北東六十キロのサチーレ にある工場に電話すると、
創業者はパオロ・ファツィオーリという人物であることがわかった。
この人物を受付係は―イタリアでは敬称をつけて呼ぶのがふつうなのだが―
「ファ ツィオーリ(インジエニエーレ・ファツィオーリ)技師」と呼んでいた。
電話で見学の日取りを決めると、 一週間後、ファツィオーリ・ビアノ社から分厚い封筒が届いた。
何枚もの切手や大きな赤い<速(エスプ) 達(レッソ)>というステッカーが貼ってあった。

北のアルプス方面へ向かう小さな列 車のなかで、わたしはそのピカピカのパンフレットを読んだ。
沿岸部の平野の完璧に整地された平らな畑が、しだいにゆるやかに起伏する山野に変わり、
列車が北東に向かいはじめると、地平線に山脈のシルエットが見えてくる。
やがてその山並みが接近して、高い頂に雪が見えるようになり、
通過する村々の鐘楼も、山脈の向こう側のオーストリアみたいに屋根がやや丸みをおびたものになってきた。

ファツィオーリ家は長年イタリアで オフィス家具の製造業を営んでいた。
六人兄弟の末っ子、パオロは
ぺーザロで音楽学校のピアノ科を卒業し、ローマ大学では機械工学の学位を取った。
彼は自分 が演奏するピアノ ―最高級のドイツ、アメリカ、日本製のピアノを含めて― の質に
しだいに不満を感じるようになり、音楽と工学の知識と家族の支援を武器にして、
品質面であらゆる妥協を排した新しいピアノを作ろうと決意した。
二十世紀末のこの時代に、たったひとりの人間が
ピアノというすばらしい楽器を製造するシステム全体を考えなおし、
実際に、世界最高のメーカーに匹敵ないし凌駕する楽器を作ることに成功するということがありうるのだろうか?

列車は正午すぎにサチーレに着き、 わたしは並木道の木陰を歩きだした。
動きまわる車もなければ、歩道に入影もなかった。まさに典型的な田舎町の昼だった。
町の中央に小さな川が流れていて、 近くのアルプスから流れてくるのだろう、
岸辺に氷のまつわりついた早瀬や滝がいくつもあった。
川岸に小さな軽 食堂(トラツトリア)を見つけたので、そこで昼食をとりながら、
ファツィオーリ工場での二時の約束までの時間をつぶすことにした。

二時十五分前に、カウンターの背後の女性に、
コーヒーを飲んでいるあいだにタクシーを呼んでくれるように頼んだ。
彼女は時計を見て、一瞬ためらうと、「この町にはタクシーは一台しかないん ですよ」と言った
「ともかく電話して、迎えにきてもらえるかどうか訊いてもらえますか?」
どうしてそんな疑わしげな顔をするのかわからなかったが、ともかく電話をかけてもらうことにした。

しばらくすると受話器を置いて、彼女が言った。
「やっぱり思っていたとおりだわ。運転手が昼食中なんです。二時半以降なら連絡がつくはずですけど」
わたしはファツィオーリのオフィスに電話して、受付係にわたしの窮境を説明した。
受付係は少しもうろたえずに言った。
「そうですよ。お昼休みにはタクシーは頼めないんです。十分ほど待っていてください。
こちらからだれか迎えにいきますから」

十分すると、灰色のセダンがレストランの前に停まって、
五十代の小柄ながら引き締まった体付きの男が降りてくると、わたしに英語で温かく挨拶した。
「わたしがパオロ・ファツィオーリです。 喜んであなたのタクシーになります」

スタイリッシュなスポーツコートにワイシャツとネクタイ、
ナイフの刃みたいにピシッと折り目のついたスラックス。
なかなかきりっとした風采(ふうさい)で、エネルギッシュな身のこなしはスポーツ選手を思わせた。
わたしは迷惑をかけたことを詫びたが、彼はわたしの懸念を一笑に付した。
工場までは数キロしかなかっ た。
車のなかで、あなたはパリに住んでいるそうだが、フランス語を話すのかと訊かれた。
わたしが話すと答えると、自分は英語よりフランス語のほうが強いので、
フランス語で話すことにしようと彼は提案した。

工場は巨大な金属製の建物で、正面にいくつかオフィスがならんでいた。
そこに到着すると、彼はわたしを質素だが明るい自分のオフィスに案内した。
唯一贄沢な感じがしたのは大きなデスクで、
外国産の木材をモダンな曲線で仕上げた美しい机は、この工場の家具製造業者としての側面を物語っていた。

わたしはこの二十世紀末という時代に、
いったい何が彼にピアノを設計し製造しようと決心させたのかに興味をもっていると説明した。
彼は椅子の背にもたれると、それは音楽が好きだったからだし、
家業の関係でそうするチャンスに恵まれたからだと言った。
「わたしが初めて見たビアノは、ピアノ教師をしていた叔母の家にあったものでした。
わたしがまだ小さかったころ、日曜日には、この叔母の家で音楽会がひらかれたんです。
夕食のあと、いとこのひとりが家族の前でピアノを弾かされるんですが、
いまでも鮮やかに覚えていることがふたつあります」
ここで彼は眼鏡を外して目をこすり、あらためて過去をのぞいているような顔をした。
「ひとつはその不思議な家具から美しい音楽が流れて驚いたこと。
それから、もうひとつはいとこが ―わたしとたいして変わらない年頃の少女でしたが― ミスをすると、
叔母がみんなの目の前でその子を軽く平手打ちしたことでした」

叔母がこんなふうにきびしい人だっ たので、
すばらしい音に惹かれる気持ちに怖れのようなものが入り交じり、
ピアノを演奏するのは完璧にやらないかぎり危険なことだという感覚が残った。
「そのころから、わたしはなんとしてもピアノを弾きたいと思っていて、
父にレッスンを受けさせてほしいと頼みました。
父は初めはしぶっていましたが、
そのうちわたしが家具用の木材の切れ端に鍵盤の絵を描いて弾く真似をしているのを見たんです。
その子供の遊びが父の考えを変えました」

父親が買ってくれたピアノの話になると、彼はうんざりだという顔をして見せた。
ナポリ製のアップライトで、ドイツ風の名前がついていたが、「ひどいピアノ」だったという。
金属フレームさえ使っていなかったうえ、
ローマの変わりやすい天気のせいで木がびどく膨らんだり縮んだりするので、
正しく調律された状態を保つのは事実上不可能だった。
ただ、皮肉なことに、そういう不満があったせいで、
彼は自分でピアノをあけて、内部をいじくることになったのだという。
つまり、彼が初めてピアノのメカニズムを調べる気になったのは、
修理できるはずもないものを修理しようとした結果だったのである。

「その楽器は設計も悪かったし作り方も悪かったけれど、わたしはピアノの仕組みに詳しくなりました。
ピアノ製造者にとっては悪くない最初のレッスンでしたね」

十八歳のときぺーザロの音楽学校に入学し、
そこで初めて、単にテクニックを磨くという狭いアプロアーチではなく、
音楽のあらゆる側面を理解している優秀な教師と出会った。
音楽学校を卒業したあと、彼はどんな方向に進むべきかよくわからなかった。
何度かコンサートをひらいたが、その方面に進んでも、
自分が第一級のピアニストになれそうもないのはあきらかだった。
そこで機械工学の学位を取って、家業である家具製造の仕事についた。
やがて、彼はローマ工場の工場長に昇進し、さらにトリノの支社を 任されるまでになった。
しかし、そのあいだにも、好きな音楽と仕事を結びつける方法はないものかとずっと考えていた。

やがて、若いときピアノをいじった経験がもっと成熟した欲求に結びついた。
長年のあいだ、彼は少しずつ本格的にピアノを演奏するようになったが、
絶えず驚かされ、失望させられたのは―たとえ第一級のメーカーのものでも―
ピアノがあまりよくできていないことだった。
メカニズムとしても、音楽的にも不満が残り、
やがて自分ならもっといいものが 作れると思うようになった。
ピアノをもう一度上から下まで考えなおして、可能なかぎり最高の楽器を作ったらどうか?
三十代になったばかりのころから、 彼はこういう考えを抱くようになり、
やがてそれが彼のライフワークになった。

一九七〇年代後半に、彼は音響学、 和声学、木工技術、鋳造技術、楽器、
その他のピアノに直接関係する専門家たちに相談をもちかけ、
まったくゼロから新しくピアノを設計する計画に参加してもらえないかと打診した。
当初、人々の反応は、いちばんマシな場合でも、非常に懐疑的だった。
ある有名な音響学の専門家はこんなふうに懸念を口にした。
「きみは頭がどうかしているんじゃないかね!
ピアノはトランペットやドラムとは訳がちがう。じつに複雑な楽器なんだぞ!」
しかし、家族が家具の製造会社を経営していると聞くと、少しはまともに耳を傾けてくれるようになった。

ファツィオーリは一歩ずつ研究を進め、懐疑的な人たちを説得して、専門家のチームを結成した。
父親が経営上のアドバイスをしてくれ、兄弟たちは財政面での支援を約束してくれた。
一年間の大半をかけて、このチームはすぐれたピアノの製造について知られているすべてを系統的に研究した。
彼らはあらゆる種類のピアノを調べ、演奏し、音響的特性を分析し、解体して、
それぞれのメーカーの考え方について議論した。
「わたしたちの出発点はけっして真似をしないということでした。
すでにある技術を利用し、それに新しいものを付け加えて、よりよいものにすることを目指したんです。
他人がすでに作っているものをコピーしても何にもなりませんからね」

一九七八年、ファツィオーリのチームは生産に着手する準備が整って、
現代的な家具工場の一翼を借り受けた。
一九八0年には最初の試作品が製造された。
これは全長一.八三メートルのグランド・ピアノ で、なかなか期待できるものだった。
「もちろん、いろんな問題がありましたが、そのほとんどは小さい問題でした。
初めてそのピアノを、そのピアノが奏でる特別な音を聞いたとき、わたしは成功を確信しました」

それから二十年経った現在から振り返っても、その確信に揺るぎはないという。
「しかし、忘れないでほしいのは、その最初のピアノを別にすれば、
なにか驚くべき新事実が発見されて、すべてが 明確になったわけではなかったということです。
これは巨大なものを建設するのに似ています。一歩一歩進んでいくしかないんです。
ただ、いつも同じ考えを忘 れずに進んでいくだけです」
ファツィオーリがいつも忘れずにいる考えとは、世界最高のピアノを作ろうということだった。
実際それに成功したと思っているの かとわたしが訊くと、彼は一瞬考えてから答えた。
「ええ、わたしたちが作っているピアノが世界最高だと思います」

現在、このメーカーでは六種類のモデルを生産しているが、
年間の生産台数はすべてを合計しても六十台に満たない。
ファツィオーリは世界でもっとも高価なピアノで、
ふつうの黒いコンサート・ グランドでも十万ドルをはるかに超える。
基本的には一台ごとに手作りなので、ファツィオーリのピアノはまだ世界に千台も出まわっていない。
これだけ台数が限られていると、多くのピアニストが自分の手でこの楽器にふれ、
ほかのピアノと此較できるまでにはまだかなり時間がかかるだろう、と彼は言う。

演奏者が工場を見学にくることがあるのかと訊くと、
だんだんそういう例が増えているということだった。
熟練したピアニストが自分のピアノを演奏するのを間近から見るのが彼は大好きで、
彼らがどんなふうに鍵盤に向かうかを見ていると、いつも新鮮な発見がある。
緊張する人もいるし、リラックスしている人もいて、
彼らが奏でる音もそれによって違ってくるし、
テクニックにさえかなり大きな差異が出てくるという。
「いまでは、彼らが椅子に坐って鍵盤をどんなふうに眺めるかを見るだけで、
どんなアプローチの仕方をするかがわかります。
まだひとつも音を出さないうちに、多くのことがわかるものなんです」

工場をひとまわりしてみないかと彼が提案し、
わたしたちはその小さなオフィスから工場のなかに出ていった。
わたしたちがいたのは現代的な塵ひとつない巨大な鋼鉄製の建物の端で、
頭上十メー トルはあろうかという高い天井の下に、
いくつもの部屋が独立して建ちならんでいた。

工場長はピアノの製造工程のさまざまな中間段階の作業場を見せてくれた。
最初のスペースの片側には、グランド・ピアノの側板が二組スタンドにのせてあり、
それぞれに六十個を超えるクランプが毛を逆立てたヤマアラシみたいに取り付けられて、
内側と外側から側板を押さえつけていた。
板を張り合わせて一定の形を作り、グランド・ピアノ独特の非対称的な曲線形に乾燥させているところだ、
と彼は説明してくれた。

各種の作業場に立ち止まって、その たびに彼は進行中の工程について解説してくれた。
キー・ベッドの研磨、アクションの調整、塗装、サウンドボードのテスト。
作業場にはそれぞれ独自の専門分 野があって、同時にはひとつかふたつの部品しか扱っていなかった。
機械的な組立ラインからこれほど遠いものもないだろう。
少なくともこれだけ複雑な製品を均質に生産するためのものとしては。

各エリアには、
胸ポケットにファツィオーリという名前のついた緑色のスモックを着た技術者がひとりかふたりいて、
強烈な集中力のオーラのなかで作業していた。
きわめて高度な精密作業が行なわれている研究室みたいな雰囲気だった。
使われていない工具はきらきら光るホルダーにきちんとならべられ、
作業場のすべて―床、壁、作業台―はスパルタ的なほど整頓され、なにひとつ散らかっていなかった。

ファツィオーリはわたしを小さな、温度がコントロールされた部屋に招き入れた。
そこには会社の貴重な財産が収められているという。
そこに貯蔵されていたのはファツィオーリのすべてのピアノのサウンドボードに使われている
ヴァル・ディ・フィエンメ産の貴重なレッド・スプルース材だった。
彼は七、八センチほどの幅の板を手にとって、わたしに渡した。
サイズのわりには軽かった。
「木目がどんなに規則的かごらんなさい。軽いけれど、驚くほど強靭かつ柔軟なんです」

部屋の奥から、彼は同じ木でできた 大きな湾曲した薄板を引っぱり出した。
きれいにヤスリがけされているが、まったく塗装はされていない。
どうやら一台のピアノのために完全に組み上げられたサウンドボードらしかった。
彼はそれを前に傾けると、その中央をこぶしでたたいた。
ちょうどリュックがアトリエで一世紀前のチッカリングのサウンドボードをたたいたように、
大太鼓をたたくような感じでたたいたのだ。
目の前の現代のサウンドボードからは、ドーンという低い砲声のような音が出た。
ファツィオーリはいかにも満足そうにもう一度たたいた。
「聞こえますか? 非常に特別なサウンドなんです」
このスプルース材のもつ独特な柔軟 性のために、そういう特別なひびきが出るのだという。

自分にはその違いまでは聞きとれないが、
これほど注意深く加工された特別な木ならば特別な共鳴の仕方をするにちがいない、
とわたしは彼に言った。
工場のなかを歩きながら、彼はヤスリがけされたばかりの支柱を指先で撫でたり、
鍵盤の延長部分の縁に片目を当てて狂いのない直線になっているかどうか確かめたり、
塗装されたばかりの黒いカバーに息を吹きかけてむらがないか検査したりしたが、
これは見学者のためにやってみせているというより、
むしろ、そうするのが彼の毎日の習慣で、
わたしが来たことで一時的に中断されていたにすぎないような感じだった。

最後に、わたしたちは完全に組み上げられ、
重たい掛け布で覆われた四台のピアノが置かれている小部屋へやってきた。
これは完成した楽器で、数日内に発送されることになっているという。
部屋の表側にはこのメーカーの看板であるモデル308が置かれていた。
現在生産されているピアノとしては、
世界でいちばん長くて重い(一トンの四分の三を超える)コンサート・グランドで、
議論の余地はあるだろうが、世界最高のピアノである。
これは翌日ベルギーの購入者に発送される予定だということだった。
「非常に才能のあるピアニストなんです」とファツィオーリは言った。
「彼がこの楽器の持ち主になるのはとてもうれしいことです」
それから、ふいにわたしのほうを振り返って、言った。
「あなたも308を試してみるべきです。じつにすばらしいピアノなんですよ」
それは質問でも命令でもなかった。
ついに完成させた名器を前にして、ピアノに取り憑かれたこの男の情熱がふと口をついて洩れたのだ。
わたしはそんなことは考えてもいなかったし、願ってもいなかったが、
失礼にならないように断るのはむずかしそうだった。
わたしはそんなに本格的なピアニストではないとかなんとか口ごもったが、
パニックと好奇心が混ぜこぜになって、その弱い抗議の言葉は上辺だけ謙虚さを装っているように聞こえた。
こういう態度には馴れているのだろう。
彼はたとえ相手がどんなピアニストだろうと、こういうすばらしい喜びを与えられると思っただけで
自分でもわくわくしているようだった。

彼は作業員をふたり呼んで、巨大なピアノを前に出させ、
掛け布を取らせて、大屋根を大きくひらかせた。
部屋の壁際から詰め物入りの椅子のひとつを持ってくると、
ファツィオーリが鍵盤のふたをあけ、わたしにピアノの前に坐るように身振りで示した。
「なんでもかまわないから弾いてごらんなさい。鍵盤のタッチとこの楽器の音色を試してもらいたいんです」

そのときになって、わたしは彼が数分前に言っていたことを思い出した。
自分の目の前で演奏する人のピアノに対する姿勢は、たとえ才能あるアーティストでも、
彼らがどんなふうに鍵盤を眺めるか見ているだけでわかる、と彼は言った。
その基準に照らせば、わたしがどんなに緊張し躊躇しているか、彼はとっくに見通しているはずだった。
実際、わたしは相反するふたつの衝動に身を裂かれる思いだった
―逃げだしたくもあり、演奏してみたくもあったのである。

部屋はしんと静まりかえり、床に絨毯もなければ、壁に飾りもなかった。
わたしはピアノを動かした作業員たちがその場を立ち去っていないことに気づいていた。
彼らはあけたままのドアの外側に立って、期待する顔をしていた。
カーネギー・ホールの満員の聴衆を前にした空っぽのステーシでもこれより悪くはないだろう。
だが、ここまで来ていまさらやめることは絶対にできなかった。
わたしは九歳にもどったような、初めての発表会で
ミス・ペンバートンのメイソン・アンド・ハムリンの前に坐っているような心境だった。

わたしの視界は狭まって、目の前の三メートル四方の輝く弦と金属部品しか見えなくなり、
いくら伸ばそうとしても指は鉤爪みたいに縮まった。
わたしがためらっていると、まるで―多くの演奏者が
華々しい名演奏に突入する前に必要とする―沈思黙考をしているかに見えることに気ついた。
ぐずぐずすれはするほど、事態は悪化するにちがいなかった。
わたしは思いきって弾きはじめた。

まず一連のアルペジオの和音を長調から短調へ、鍵盤の左から右へと弾いていった。
鍵盤を押した瞬間、わたしが驚かされたのはその音量の豊かさと音色の透明さだった。
たとえ大屋根を完全にあけていても、シュティングルではこうはいかなかったし、
アンナとのレッスンのときに演奏するニメートル近いベヒシュタインともかなり違っていた。
海岸で突然大波に襲われたかのように、膨大な量のサウンドが襲いかかってきたのである。
鍵盤をちょっと押しただけで、こんな結果が生じるとは信じがたかった。

最初の基本的には心地よいショックが収まると、
次に気づいたのは自分が弾くすべての音が鮮明に聞こえることだった。
そのとき弾いていた単純な和声進行でさえ、
ひとつでも間違った音があれぱ、その音がはっきり飛び出して聞こえた。
音色はきわめて豊かで、満足のゆくものだったが、わたしの耳には間違えた音ばかりが聞こえ、
その結果異常なほど自意識過剰になった。
片目で真下の地面を見つめながら高いところで綱渡りしているようなもので、
しかも目の前にはリムジンかヨットみたいな、
じつに巨大な塊がひかえているという感じだった。

わたしはいくつか音階を弾いてみたが、鍵盤全体にわたってタッチは均一で精確だった。
サステイン・ペダルを踏んでフォルティッシモで和音を弾くと、
部屋のなかにオーケストラがいるようなひびきがとどろいた。
とてつもないパワーに圧倒され、その迫力にそぐわない自分の演奏に困惑して、
わたしはそこで演奏をやめた。
和音のひびきがまだただよっていたが、わたしはファツィオーリを振り返って言った。
「たしかに、パワーは申し分ないですね」彼は熱心にうなずくと、
ウォームアップが終わったのだから、演奏をつづけてくださいと言った。

わたしはほんとうに残念でならなかった。
もしもそこでべートーヴェンの後期のソナタを優雅に弾きだし、
このならぶもののないピアノにふさわしい自信と惰熱あふれる演奏ができて、
そのあとでそれを作りだした男とその楽器のよさについて知的な会話ができたなら、
どんなによかったことだろう。

わたしは曲を演奏する準備はできていないが、
このコンサート・グランドの感触とひびきはとても気にいった、とファツィオーリに言った。
それより本格的なミュージシャンが演奏する音を聞きたいので、
彼が演奏してくれないかと頼んでみた。
彼は一瞬ためらったが、わたしが椅子から立ち上がると、
入れ代わりに坐って、寛容にわたしを解放してくれた。
「これほど大きなビアノを演奏するにはある程度の馴れが必要です。とくに大音量で演奏するときにはね」

そう言うと、彼は両手を鍵盤に打ち下ろして、
ショパンの『ポロネーズ第一番嬰ハ短調』の冒頭の部分を弾きはじめた。
それはじつに驚くべきひびきだった。
音量はとてつもなく豊かでありながら、音色の透明感は少しも損なわれていなかった。
それにつづく半音階的な楽節では、震えるようなひびきがいつまでも空中にただよい、
次々とひびきを重ねても音色が曖昧になったり濁ったりはしなかった。
彼はあきらかに才能あるピアニストで、
しかもどんな曲を演奏すればこの楽器の特色を最大限に表現できるかを知悉(ちしつ)していた。
彼はモーツァルトのソナタの一部を演奏し、
それからちょっとシューマンをやって、リストをほんの少しだけ弾いた。
それぞれが異なる音色だったが、宝石の切り子面のように鋭い透明感は共通していた。
わたしがピアノのケースに手をあてがうと、
わたしの体のなかを制御された地震みたいな振動が走り抜けた。

それから、彼はファツィオーリ・コンサート・グランドの独特の特徴である
ハンマーを弦に近づける第四のペダルを使ってみせたいと言った。
これはハンマーを横にずらして一本の弦だけをたたくようにする従来のソフト・ペダルとはちがって、
高音域でも三本の弦をたたくようになっているため、
驚くほど複雑なびびきのピアニッシモの演奏が可能なのだという。
彼はドビュッシーの『月の光』を弾きだしたが、
高音域で演奏されたテーマはたんに柔らかいだけでなく、
不思議なほど澄んだ音色で、さまざまな倍音を含んでいた。
これはいままで聞いたことのない音だ、とわたしは思った。
このピアノの柔らかい音は、ふつうの抑えられた音とはまったく音質が違っていた。

演奏が終わると、ファツィオーリは立ち上がって、
308を音響効果のいいコンサート・ホールで聞いてみてほしいと言った。
彼が鍵盤のふたを閉じたとき、ほとんどわからないくらい軋む音がした。
彼は片手を上げて―ネズミの音に耳を澄ますみたいに―静かにという身振りをすると、
三度矢継ぎ早にふたの開け閉めを繰り返した。
そのたびに、ぴりぴりした沈黙のなかにかすかな軋み音が洩れ、彼の表情は失望に沈んだ。
彼は作業員のひとりを呼びつけると、その不愉快な仕草を繰り返し、
どんな叱責の言葉よりも決定的な非難の目で一瞥した。
「いいかね、これはあした発送されるんだぞ」と彼は興奮してイタリア語で言った。
それから、わたしたちはこの希有な四台のピアノ―これがこの工場のほぼ一ヵ月の生産台数だった―が
発送されるのを待っている部屋をあとにした。

オフィスにもどってから、
ピアノにとってもっとも重要なのは何だと思うかとわたしが質問すると、彼は躊躇なしに答えた。
「演奏するとどんな音が出るかということです。じつに単純なことですよ。
したがって、ピアノを作ろうとするとき重要なのは、
あらかじめどんな音を目指すか知っていることです」
彼は鮮やかで、透明感のある、安定した音、大音量でも歪みのない音を目指したのだという。
工学的な見地からみれば、
人間に聞こえる音は基音とそれより高い周波数で共鳴するすべての倍音が組み合わされた音である。
そのバランスを適切なものにすることがピアノ製作者の技術の核心なのだという。

あるひとつの鍵をたたいたとき、わたしたちの耳に聞こえる音には倍音が含まれている。
基音より高い複数の音がずっと弱くひびいているのである。
ふつう、わたしたちはこういう微妙な音は意識していないが、
これは個々のピアノに独特の音色を与える重要な要素なのである。
わたしがファツィオーリに、倍音を聞き分けることができるのかと訊くと、
彼は長年の経験からほかの人たちには聞こえない音を聞き分けられるようになったと答えた。
彼の仕事の大きな部分がそのバランスを適切なものにすることに関わっているという。
ほかの人々には必ずしもわからない差異になぜこだわるのだろう、とわたしは思った。
「それはそうするのが正しいことだからです」と彼は言った。
「しかし、そういう原則論はともかくとして、実際のところ、ピアノの音について判断するとき、
わたしたちは意識的には聞いていないたくさんの音を考慮に入れているんです。
そういう音がファツィオーリがファツィオーリらしく聞こえるための重要な要素なのです。
いわば、極上の年代物のワインのあらゆる繊細な特性がわかる専門家とちょっと似ています。
すぐれたワインを味わうために、あなたやわたしがそういうすべてを知っている必要はありませんが、
ワインメーカーがその披術を完璧なものにするためには、すべてを知っている必要があるんです」

ファツィオーリはどんな音を目指しているのだろう?
ファツィオーリとほかのピアノとの基本的な違いはどこにあるのだろう?
「それはほかの人たちに訊いてもらう必要があります。
わたしたちの耳にどう聞こえるかということは非常に主観的なものですから、
わたしはあえて比較するつもりはありません。
ただ、ひとつだけ言うならば、わたしのピアノは
スタインウェイやベーゼンドルファーやヤマハのような音を出そうとはしていないということです。
彼らは彼ららしい音を出しているし、
わたしは自分がどんな音を出したいか知っているということです」

わたしは彼の机の上にブルネイの国王(スルタン)が所有する
ファツィオーリ308のカラー写真があることに気づいた。
特別製のケース付きのこの<世界一高価なピアノ>はいろんな音楽雑誌にのっており、
七十五万ドルもしたという噂だった。
これはたしかにほかのピアノとは違う、とわたしが指摘すると、
彼は平然たる面持ちで、
楽器としての質を損なわずにケースをこんなに豪華に飾り立てるのはなかなかむずかしかったが、
面白い仕事だったと答えた。

それから、ファツィオーリは棚のひとつに手を伸ばして、
幅七、八センチ長さ三十センチくらいの、明るい色の木の板を取り上げた。
これはファツィオーリのサウンドボードに使われている
ヴァル・ディ・フィエンメ産のレッド・スプルースの一部だと説明しながら、机越しにわたしに渡した。
「ご来訪の記念にどうぞ」

わたしはそれを受け取って、手のなかで裏返してみた。
工場の床に積み上げてあったのと同じ軽いしなやかな板だった。
年輪は非常に細かく、きれいに間隔がそろっている。
この密度と規則正しさがピアノの音を伝播する最適な媒体になる理由を、彼は原理的に説明してくれ、
この板にはそういう計算が目に見えるかたちで現われていると言った。
これこそ彼の驚くべきピアノの心臓部のために、この完全主義者が発見した世界最高の木材だった。

わたしはちょっと立ち止まって、コートを着ようとしていた彼にその木片を返した。
「それにサインしていただけませんか?」
彼は初めちょっと困惑したようだったが、やがてうれしそうな顔になって、
フェルトペンを取ると、飾りつきの書体でサインしてくれた。
「これはあなたがファツィオーリを所有する第一歩だと考えてください」

帰りの列車のなかで、わたしは鞄からその明るい色の木片を取り出した。
片面に<パオロ・ファツィオーリ>というサインがある。
このなんでもないスプルース材の板切れの背後に横たわっているものについて、わたしは考えた。
門外漢の目にはきれいに仕上げられたただの板切れにしか見えないだろうが、
じつは、これはあるひとつのポイント
―どんな木を使えば理想のサウンドボードが作れるか?―だけを念頭において、
この地球上の森に生育するありとあらゆる木を検討し、
その結果たどりついた最終的な結諭なのだ。
この問題やそのほかの数千の同様な問題に取り組んで、それを突きつめ、何度も考えなおして、
その答えの集大成として一連の新しい部品が生みだされたのである。
森は木材を与え、大地は金属を与えたが、
いちばん希有な原料はいちばん測りがたいものでもあった
―それは新しいピアノを考えだすという特異な才能だったのだから。

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